
少年院のことを英語で”Juvenile”と言います
私は郡の少年院のキッチンで2年、清掃係りで2年、オフィスで1年
合計で5年間お世話になりました
”アメリカを知る”という意味では
大変貴重な経験をさせてもらいました
また、それまで勤めていた日系の旅行会社とは
180度違った環境で働くことで
アメリカの様々な側面を見ることができました
今日はその頃のお話を書いてみたいと思います

面接でほとんど何も答えられなかったのに採用された!

夫の友人から「仕事を探すなら
絶対にガバメント(government)、つまり政府関係で働きなさい!」
と言われました
アメリカでは仕事探しの第一条件として
福利厚生、中でも医療保険と年金の良いことが挙げられます
給料はまぁまぁですが有給休暇も多く
医療保険も窓口で最初に支払う”Co-Pay”以外はほぼ全額無料です
この頃の私は病後の2年間ずっと体調が悪く
しかも高額な医療費を分割で返済していました
そしてやっとの思いで就活を始めた頃でした
なので医療保険の重要性はヒシヒシと身に染みていました
で、ガバメント(政府関係)のウエブサイトをチェックすると
少年院のキッチンのパートの募集がありました
「まずはパートから体を慣らそう」と
早速ウエブサイトから申し込みました
それから数週間後、忘れた頃にメールで連絡があり、
面接の日時を知らされました
既にウエブサイトの書き込みの段階で
職歴などを全て書いていたので
多分書類選考は合格、ということだったのでしょう
私は日本でもキッチンで働いた経験もあり
日本の調理師免許も所持していると
一応添付の履歴書に書いていたからだと思います
面接時にスーツを着て行ったのですがそれは私だけでした
他の人は結構ラフなシャツに綿のパンツ、みたいな服装でした
書類選考の上位7人がそれぞれ時間差で面接に呼ばれるので
他の面接に来た人に会うことはほとんどありませんが。
そして3人の面接官(マネージャー、栄養士、料理長)から
質問が7問ぐらい書かれた紙を渡されたました
面接という初めての経験でBroken English 一本でやってきた私は
頭が真っ白になって付け焼き刃で練習してきた言葉も
全部飛んでしまいました
アメリカの面接のパターンは大体こんな感じです
- Tell me about yourself (自分の今までの職歴を説明します)
- シチュエーションを説明されて”こんな時あなたならどうする?”に答える問題
- 職場の仲間との協調性を尋ねられる問題
- PCのスキルを聞かれる問題
- 何か質問がありますか?の問題
自慢じゃありませんが、私はこのあとこのガバメント内でいろんな部署の面接を合計で27回受けましたのでだいたいの面接のパターンは把握してしまいました💦
結局帰りはヘコみすぎて
足の半分が土に埋まったみたいな感じで
帰路につきました
(この時、張り切ってスーツとか着ていった自分がすごくアホに感じました)
初めてのこの面接でなぜか奇跡的に
すぐにマネージャーから電話があり
「バックグラウンドチェックと指紋採取を受けて」と言われました
多分パートだったから受かったのでしょう‼
(ちなみに正社員とは福利厚生も全然違いショボーい)
このマネージャーはこの後もずっと私のことを
気にかけてくださりとても私を買ってくれていました
多分このマネージャーはアジア人で”日本人はマジメで働き者”
というイメージが彼の頭の中にはあったようです
ガバメント関係で採用されるには”Background check”(身元調査)が
大変厳しく、少年院で働くとなるとさらに指紋採取や諸々
採用まで二か月以上かかりました(これもアメリカあるあるです)
マネージャー曰く、
このバックグラウンドチェックで半分ぐらい落とされる、とのことでした
どんだけヤバいヤツが受けに来てるねん⁉と怖くなりました

初日からすごい書類にサインさせられる

初日は職場の横のオフィスに呼ばれました
これはアメリカの企業で働く時のあるあるだと思うのですが
それはそれはたくさんの書類を一緒に読んでサインさせられます
アメリカは訴える人も多いですし
雇用者が守られているからでしょう
とてもキッチリ読んでられないので全部読んだフリをして
そのあと「出勤日が決まったら連絡する」と言われました
ちなみに書類にサインする時間にも全て給料が支払われます
そこからさらに2週間ほどで晴れて出勤、となりました
初仕事、いきなり過ぎる全てのことに驚き!


実際に働いていたところの写真は掲載できませんので
下記のサイトからご覧になってください
少年院ということもあり職場のセキュリティは厳しくて
敷地内は当然IDカードがないと入れません
ドアは全て二重になっていて1つ目と2つ目のドアの間で
カメラで入場者をチェックしてから第二の扉を開けます
セキュリティが管理室でカメラをみて常に監視しています
子供達の居住している施設に食事を届ける時も同様です
なので入退室にはいつもすごく時間がかかりました
またアメリカでは仕事を”手取り足取り教える”
という事はせずに
いきなりなんでも”知ったかぶり”をして
どんどん振られる仕事に鼻歌でも歌って余裕で答えないといけません
「ジャガイモ50LB(約23kg)カットして、ジュリアンで」
とか言われてジュリアンてなに?とか言えない雰囲気でした
「あー千切りかいな」、とあとでわかったのですが💧
あーそうそう、包丁の扱いについては大変厳しく
マネージャー室の鍵のかかったケースに入っていて
毎回使い終わったら本数をチェックします
包丁を食洗器に入れる時は必ずその場に張り付いて
食洗器から真っ先に取り出して片付けていました
仕事自体は慣れると同じことの繰り返しなので楽ちんでしたが
少しでも上司が体制を変えようとしたり
仕事を複雑にしようとしたり増やそうとすると
すぐにプロテストして従業員は阻止します
お陰で仕事内容が複雑になったり面倒臭くなることは
ありませんでした
これってある意味大事だと思います
日本はどんどん複雑にしたり時間をかけたりして
一見改善しているように見せかけて
実は「それ要らんやろ⁉」て作業が増やされることって結構ありませんか?
私が日本で働いていた頃はそういうことが多々ありました
仕事の効率を上げるように見せかけて
実は仕事が複雑になっただけで時間ばっかり取られる、みたいなこと……
少年院のキッチンに初めて出勤したのは夏休みが始まったころで
正社員の人が次々と夏休みを取り、一度正社員が一人もいなくなる、
という状況になり、昨日雇われたばっかりの
私ともう一人の新人とマネージャー(普段マネージャーは夕食時の食洗タイムしか
現場に立ちません)しかいない時がありました💦
その時はわからん者同士でなんとかやり遂げましたが……
その後すぐ、もう一人の女性は辞めていきました💦
仕事内容と職場はこんな感じでした


栄養士の作ったメニューに沿って
3日と半日同じチームで調理の準備をします
調理する材料をあらかじめオーブン用のパンに並べたり
解凍しておいたり、切ったり
果物やジュースを人数分作ったり分けたりします
どの下準備を先にやっておくか、の順番が命です
調理場は音楽を聴きながらとか結構ゆる~い感じでした
アメリカ料理も色々レシピを教えてもらって
実際うちで何度も作ってみました
食べるのは12歳から18歳の育ち盛りの子供なので
量はいつも結構ありました
夜食のスナックも欠かさず準備されていました
代表的なメニューは
- Pizza
- macaroni & cheese マックアンドチーズ
- fajita ファジータ
- Tacos タコス
- Pasta パスタ
- Hot dog ホットドッグ
- Stir Fry(炒め物) こんな感じです

朝はシリアルかデニッシュのような菓子パンでした
毎回必ず牛乳とジュースと果物がつきます
サラダもだいたい付いていました
サンクスギビングデーは七面鳥とマッシュポテトのグレービーソースがけ
クリスマスはニューヨークステーキという豪華なメニューでした
ハッキリ言って調理する料理は結構美味しかったです
調味料がたくさんあって上手に使っていたと思います
冷凍ものをそのまま温めて出すものは想像通りの味でした
私達も賄いとして3食食べていました(勤務時間は朝7時~夜18時までの11時間)
正社員のシフトは週3日半出勤
11時間勤務を3日間と7時間勤務が一日で合計40時間
週のあとの3日半はお休みです
祝日に出勤すると1.5倍の給料になるので
月曜日(祝日は大体月曜日にある)のシフトは大人気でした
このシフトはかなり魅力的でした
3日半まとめて働けばあとの3日お休み……毎週小旅行へ行けそうです
私達パートは正社員が休んだらそこにカバーに入ります
正社員は有給がメチャクチャ多いので皆すぐ休むので
毎日のようにパートが穴埋めに入ります
正社員は自分の家族、特に子供のことで休む場合がほとんどです
それだけお父さんもお母さんも子育てに参加しているのですね
就業時間中の休憩もやたら多く
朝食を作っては休憩、昼食を作っては休憩
みたいな感じでした
休憩中はみんなでTVを観ていました
(休憩室にはケーブル付きのTVがありました)
工場のような食洗器があってここで毎回約130人分の食器を洗います
皿、コップ、などを大きな食洗器のベルトコンベアーに乗せていきます
熱湯で一気に洗うのでエッグイ暑さの蒸気の中での作業でした
終わった後はいつもひとっ風呂浴びたような暑さでした



実際に受刑者の子供たちと接触することもありました
一日3回子供のいる部屋に食事を届けるので
実際に子供たちに接触することもありました
コワい、ということはありませんでした
皆ジャージを着ている”ティーンエージャー”という感じです
実際にはギャングに所属している子もいて
タトゥーの柄でどこの組?に所属している、とか
アイツは敵だ!ということがわかるので
ケンカになる恐れもあるということでした
けれどもそういう子は私の働いているところにはいませんでした
ジャージなどの着替えも
ランドリー係の人が毎日集めて洗濯していました

女子の部屋は別棟になっていた

女子の場合は何か罪を犯した、という子ばかりではなく
保護者から隔離して保護している場合や
”望まれない妊娠”をしてしまった場合
無事に出産するために滞在している、という子がいました
両親のいない子や、いても薬物中毒などで養育能力がない
などの場合もこちらで生活していました
彼女たちも普段の生活以外に
運動する時間や勉強する時間もありました
外の世界で非常に苦労してここにたどり着いた、という
安堵感と不安感が入り混じったような表情の子が
大変多かったと記憶しています
女子同士のケンカが一番恐ろしくて
髪の毛を引っ張り合ってました
ケンカがおこると各所にパニックボタンみたいなのがあって
それを押すと職員全員が集合して止めに入ります
職員は警察官をリタイアした人など
マーシャルアーツ(Martial arts)の訓練を受けている人です
子供達は「ここはディズニーランドみたいだ、
ご飯が食べられて天国!」と言ってる子もいました
清掃員になってからはより広範囲で働くことに
2年後、少年院の清掃員の正社員の採用があることを知り
応募したらすぐ”採用”となりました
キッチンでも正社員採用のチャンスがあって
何回か受けたのですが残念ながら採用されませんでした
でもいざ清掃員の正社員になった、とマネージャーに告げると
なんとか残ってもらえないか?とかなり引き止められましたが
やはり”正社員”のポジションはパートとは天と地の差
ということで正社員のほうを選択しました
部署によりますがアメリカでは政府関係の仕事(公務員)も
中途で採用されるチャンスがゴロゴロあります
カウンティ(郡)の仕事の中でもコロコロ部署を移っていくので
しょっちゅう募集しています
それにしてもキッチンの人は皆さんいい人でした、本当に感謝です
今でも連絡を取り合っています
清掃員になってからは……最悪の日々💧

清掃員の正社員になってからは
180度人生が変わりました、そう、何もかも最悪!
朝5時~昼1時半までの勤務時間で
休憩時間もキッチリ決まっていて
それ以外は孤独にひたすら掃除、
広範囲に渡って休んだ人の分もカバーで掃除します
それ以外は広い少年院の中でいろんなところ(倉庫など)に
隠れてサボり続けるというひどい状態でした
私もランドリーへ行って世間話をしたり
少年院のあちこちを歩き回って”探検”していました
唯一の楽しかった思い出は
少年院は自然がいっぱいの丘の上に建っていたので
早朝出勤すると鹿、アライグマ、うさぎなどの
野生動物に毎朝遭遇できたことです
少年院で驚いたことはその設備の充実さです
少年用の裁判所や授業を受ける教室や体育館や
礼拝室もありました(牧師さんも毎週日曜に来られていました)
また少年院の中には医務室があり
中でもデンタル(歯科設備)はちゃんと設備が整っていて
毎週外部から歯医者さんが通って来ていました
”少年院にいる間に虫歯を治療する”
という子がたくさんいました
アメリカは医療費(歯の治療費も含む)が高額なので
少年院内だと無料で治療してもらえるので
ラッキー!といわんばかりにアレコレ
治療を受けられるのです
清掃員となって一番最悪だったのが
マネージャーが異常に厳しくて
有給休暇がいっぱ~いあるのに全然休みを取らせてくれなかったことです
月一回のミーティングも名ばかりで
毎月同じアジェンダ(議題みたいなものです)のコピペで
毎回一人を吊るし上げて責め立てます(サボってるとか)
ミーティングで自分がホームレスだった頃の話を延々として
どこの公衆トイレが汚い、などどうでもいい話のオンパレードでした
(元ホームレスであっても政府関係のマネージャーになれる
アメリカで”Equal Opportunity”平等雇用を地でいく形です)
このマネージャーのミーティングが差別的であまりにもひどいので
職員組合からミーティング内容を監視するための人が来たくらいです
ところがこのマネージャーは人事の人に取り入って味方をつけて
難を逃れました(へこたれない人でした)
またアメリカの職場ではSeniority(年功序列)がしっかりしていて
セニョリティーの高い順に仕事内容を選べます
なので一番掃除のキツイ大変なところはペーペーの仕事です
そのため体力、腕力、サボり力がないと上手く立ち回ることができません
私の先輩たちは最初の1時間だけ仕事して
あとは空いている部屋でのんびりしたり
あっちこっちの部署に行っては”油を売って”いました
私は掃除のし過ぎと重い道具やゴミの持ち過ぎで
首、手首、肘、背中、腰を痛めてしまい
労災扱いで休職を余儀なくされました
労災で休職するといくら自分がもう大丈夫、と言っても
医者からの許可が出るまでは仕事復帰できません
大したことなくても医者が
「針治療を12回受けるまでは復帰はダメ!」というと
2か月ぐらい復帰できません
この針治療、全然効き目がありませんでした💧
医者に、「もう大丈夫って書いといて」と言っても
それでは鍼灸師が儲からないのでなかなか許可を出してくれませんでした
実はこの頃私の身体は重い掃除機とモップで
悲鳴を上げていました
ちなみにアメリカの掃除機は
「重い、うるさい、コーナーに弱い!」の三拍子です
あんな大きなヘッドで部屋の隅のゴミなんか吸えるかー!と
思いながらひたすら掃除機をかけていました
掃除機のゴミの袋を取り換えさせたら
私の右に出るものはいない、ぐらいまでは
素早く交換できることができるようになりました❤
お陰でここで鍛えられて掃除が苦ではなくなりました
(だからスクールバスの洗車も好きです❤)
最終的に清掃の仕事を続けられるか医者の返事待ちの間
オフィスに一旦預かりということで同じ部署の経理に回されました
お肉の直売所【FromFarm】

オフィスで経理(Accounting)のセクションで働く

日本にいた頃経理部で働いていたこともあり
いつか政府関係のAccounting(経理)のセクションで働きたくて
以前からコミュニティカレッジ(短大)のAccountingのクラスを
取っていました
幸いAccountingのセクションで身柄預かり、ということになり
臨時で専用ソフトでの会計処理の仕事に就くことになりました
そこで10か月働いた後、結局清掃の仕事に戻ることが無理だったので
「肩タタキ」に遭い、最終的に退職する事になりました
アメリカでは簡単に従業員をクビにはできないので
実際には2年ぐらい宙ぶらりんの状態でいました
この時期政府関係の仕事になんとか残りたい、という思いから
テストと面接を受けまくっていました(最終的に面接を27回受けました💦)
なので”やり切った感”はありました
おかげでコミュニティカレッジで会計の資格も取れましたし、
他の会計事務所で週末のパートの仕事を得ることが出来ました
また政府関係の職場では
職員全員に年20時間のクラスを取ることが義務づけられていましたので
色々なソフトの使い方なども無料で勉強できました
アメリカでしかできない経験が出来た

タラレバになりますが
- もしキッチンのパートをもう少し続けて正社員になっていたら
- もしマジメに掃除をせずに上手く立ち回っていたら
- もし面接に受かって政府関係のほかの仕事に就いていたら
今でもこの政府関係の仕事を私は続けることができて
最高の医療保険と安定した老後が約束されていたと思います
最終的に退職することにはなりましたが
少年院での4年間とガバメント(政府関係)のオフィスでの1年間で
それまでのアメリカ生活では知ることが出来なかった世界を知り
たくさんの人と出会うことができました
職場では英語でしか話すことがなかったので
語学力も飛躍的に伸びたと思いますし
少年院という特殊な世界を垣間見てアメリカを深掘りして
知ることができました
現在この少年院のキッチンは閉鎖されて
近くに新しく建設された刑務所内のキッチンに統合されました
一度刑務所のほうで働いてみないか?と言われて(主に軽犯罪の受刑者用)
見学に行きましたが私には無理!と思いました💦
政府関係の職場での5年間の経験で
アメリカには実に様々な人がいるという事を知り
ステレオタイプで人を判断したり
自分の考えが偏らないように気を付けることを知りました
他にも”アメリカの組織で働くこと”で気を付けなければいけないことを
たくさん学ばせていただきました
今回は私の職歴について語ってしまいましたが
最後まで読んでくださって本当にありがとうございます!
【産直ネットショップ 北海道ぎょれん】

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